2011/05/20

シャルトル大聖堂とイノベーション②

520034494_09b26f49cc_zシャルトル大聖堂が焼け落ちたのは1194年。マリア信仰の中心地として栄えたシャルトルの町は、大聖堂と共に、マリアの聖衣が焼け落ちたことで落胆し、未来を見失いかけていた。

観光客はみるみる減り、経済的にも厳しい状況が続いていた。そんな中シャルトル大聖堂のルノー司教は意気消沈する町の人々を勇気づけ、奮い立たせ、もう一度シャルトル大聖堂の建造を行う、と高らかに宣言する。

僕はコッソリこのルノー司教という男をとても尊敬している。燃えてしまった聖衣をしれっと偽物を持ち出して、奇跡によって復活した、と言ってみたり、国王やバチカンからうまいこと金策してみたり、町の人々一人ひとりに声をかけて勇気づけてみたり、本当に優しさと豪胆さを兼ね備えた素晴らしいリーダーだからだ。

それに加えて、ルノー司教は前例や既成概念に囚われない、アイデアマンでもあったというからまったく恐れ入るしかない。

シャルトル大聖堂再建のためにヨーロッパ中から資金が集まったわけだけど、実際のところ、そんなもんは瞬く間に使い切ってしまったそうな。なぜならば、当時聖堂に利用する石はパリの周辺から川を使って運んでいたそうだが、パリからシャルトルへは調度良い川がなかった。そのため、大きな石を丸太で転がしながらシャルトルまで運ぶことになってしまった。距離にして80キロ。資金は枯渇し、町民も無償で奉仕したけど、やっぱり無理。再建して間もなく危機の到来である。

みんなが諦めようとした時、ルノー司教は言った。「もしかしたら、このへんにも探せば石はあるんじゃない?」自分たちの町には資源はない。よそから買って、運んでくるしかない、そう何百年も信じてきたわけだから、ルノー司教何言ってるの、という感じである。石を買ってくるのではなく、近くで探す。しかし、本気で真剣に探せば見つかるものである。ほどなくシャルトルの近郊で良質な石が発見される。しかし、川がないことに変わりはない。これではやはり資金が足りない。

ルノー司教は再びアイデアを絞る。これまでは大きな石を現場に運び、石工(いしく)職人が最適な大きさに加工を施していた。しかし、陸路で運ぶしかないシャルトルの場合、これは大いにコストの無駄である。そこでルノー司教は採石場の段階で石に第一次加工を施すというアイデアを思いつく。
すなわち採石場と建築現場の分業である。採石場の段階で岩ではなく、立方体に切り出すわけだから、大きさは小さくなり、積みやすくなり、運びやすくなる。これは大いに納期を短縮することになった。

石の問題は、こうやって見事に解決した。

無理だからやめる、ではなく、それがダメならこうすれば良い、しかも、こんな風に工夫したら、もっと安くなる。もちろん知恵を出したのはルノー司教だけではない、ルノー司教のもとに集った名もなき無数の建築士たちが真剣に考えたからこそ生まれた素晴らしいアイデアなのではないかと思う。

彼らが諦めずに知恵を絞ってくれたおかげで、今日の世界遺産シャルトル大聖堂が存在するわけである。アイデアとは、まことに大切なものだと思う次第である。