3月11日の午後2時46分。巨大地震が東北関東を襲った。ここ北陸でもこれまで感じたことのないゆったりと大地が揺れるような地震に襲われた。
その後の出来事は連日テレビやラジオ、インターネットが報じている通り。行方不明者の方々がどのくらいいるのか目処もつかないまま、必死の救助活動が続けられている。福島第一原子力発電所では、命を懸けて放射能漏れ、放射能汚染を食い止めるために働いている人がいる。
水、食料、生活必需品の不足、燃料、エネルギーの不足、インフラやライフラインの断絶など、懸念は山積み状態で、むしろ、これから本格的な消耗戦が始まると予想される。
先の見えない不安の中で憤りや不満、欲望は必ず溜まる。そして、これらの邪念を振り払うことができるかどうか、今私たち日本人が試されている。そしてまた、この試練を乗り越えられるかどうかに、日本の未来はかかっているとも言えるかもしれない。
あらためて思う。
日本は世界でも群を抜いて自然災害が多発する国だ。なぜ日本人が平和的で、競争よりも和を大切にしようとするのか。エゴや主張よりも、自らを滅し、譲ろうとするのか、それはつまり、面倒や損をしてでも、人のつながりを切っては、自然の脅威に立ち向かうことも、共存することもできないからだ。欲を出せば、結局それは自分の不利益となって返ってくるからだ。
日本人全員が自分さえよければいいや、と考えていたら、きっとこの日本列島で何千年も生き延び、これほど豊かに栄えることはできなかったかもしれない。地震、津波、噴火、台風、洪水、大雪、干ばつ、このような巨大な自然災害に対し、人はあまりにも無力だ。
しかし、日本人は無力であることを受けれて、なお、この地を愛し、子孫を繁栄させ、文化の花を咲かせてきた。災害のたびに大切な人を失いながら、それでも再び立ち上がり、明日への希望の火を消すことなく、前進を続けてきた。
それが僕たち日本人だ。
だから、先人たちがそうしてきたように、僕たちも歩みを止めぬ。
決して止めぬ。
自暴自棄になったり、欲をむき出しにしたり、いがみ合ったりすることはしない。今こそ日本人はDNAに刻まれている徳の心を、助け合い、慈しみ合う心を呼び覚ます、そして再び花が咲くその日まで、前を向き、手を取り合い、両の足で歩み続ける。